トテチテタ、トテチテタ
福山市の外れにある就労継続支援B型事業所「トテチテタ」は、朝になるといつも少しだけ騒がしい。玄関の引き戸がガラガラと開くたび、利用者さんたちの声が重なり、コーヒーの香りと混ざって、なんとも言えない温かい空気が流れ込んでくる。
レゴ
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| ミキ |
私はミキ、三十五歳。ここで働き始めて七年目になる。肩にかけたショルダーバッグには、いつもチラシの束がぎゅうぎゅうに詰まっている。
「ミキさん、おはようございます!」
元気よく声をかけてくるのは、利用者のユウタだ。背は高いのに、笑うと子どもみたいに目が細くなる。
「今日はね、昨日より速く配れる気がするんですよ」
「お、いいね。でも焦らなくていいからね。ゆっくりで」
ユウタはうなずき、チラシの束を抱えて外へ出た。私もその後ろを歩く。もちろん、私が配った分はカウントに入らない。私はただ、横を歩いて見守るだけだ。春の風が、チラシの端をぱらぱらと揺らした。
トテチテタの周りは、昔ながらの商店街と住宅街が入り混じっている。八百屋の前を通ると、店主のおばちゃんが声をかけてくる。
「今日も頑張っとるねえ、ユウタくん!」
「はい!今日は配り王になります!」
ユウタは胸を張って、ポストにチラシを入れる。その姿を見ていると、なんだかこちらまで誇らしくなる。チラシ配りは、特別なスキルがいらない。でも、意外と工賃が高い。だから、利用者さんたちにとっては人気の作業だ。
私は横を歩きながら、ふと気づくことがあった。算数が得意な子って、勉強を頑張った子じゃないんだよな。この仕事をしていると、利用者さんの得意がよく見える。ユウタは計算が速い。でも、彼は勉強が好きだったわけじゃない。
「ユウタ、小さい頃って何して遊んでた?」
「え?レゴです!あと、駄菓子屋でお菓子買うのが好きでした!」
やっぱり、と思った。ユウタは、チラシを配りながら楽しそうに話し始めた。
「レゴでね、家とか船とか作るんですよ。でも、ブロックが足りなくなるんです。だから、どれを使うか考えて」
「へえ、工夫してたんだね」
「あと、駄菓子屋で100円もらって、どれ買うかめっちゃ悩んでました。
30円のやつと50円のやつ買ったら、あと20円で」
私は思わず笑ってしまった。
「それ、つるかめ算の基礎じゃん」
「つるかめ?」
「ううん、なんでもない」
ユウタは首をかしげたが、すぐにまたチラシ配りに戻った。私は歩きながら、自分の子ども時代を思い出していた。ああ、私もそうだった。駄菓子屋で100円を握りしめて、80円のお菓子を買ったらあと20円。でも40円のも欲しい。じゃあ80円のを60円のに変えよう。
あれは、算数の勉強なんて意識していなかった。ただ、夢中で遊んでいただけだ。
「ミキさん、これ、あと何枚ですか?」
ユウタがチラシの束を見せてきた。
「えっと残り30枚くらいかな」
「じゃあ、あと15軒で半分ですね!」
私は思わず足を止めた。
「ユウタ、なんで15軒って分かったの?」
「え?だって1軒に2枚入れるから」
彼は当たり前のように言った。私は胸の奥がじんわり温かくなった。こういう感覚が、算数の土台なんだよな。計算ドリルを何時間やっても身につかないものが、遊びの中では自然に育つ。でも、私はそれを教訓として語るつもりはない。ただ、目の前のユウタの姿が、静かに教えてくれるだけだ。
チラシを配り終え、事業所へ戻る途中。ユウタがぽつりと言った。
「ミキさん、ぼく、算数だけは得意なんですよ。なんでか分からないけど」
「うん。分かるよ」
「え?」
「ユウタ、小さい頃、よく遊んでたでしょ。レゴとか、駄菓子屋とか」
「はい!」
「それがね、たぶん理由なんだよ」
ユウタは、しばらく考え込んでから、ふわっと笑った。
「じゃあ、遊んでてよかったんだ!」
「うん。すごくね」
春の風が、ユウタの笑顔をやさしく揺らした。私はその横顔を見ながら、今日のチラシ配りも悪くないな、と思った。
地図
トテチテタの朝は、いつも誰かの声で始まる。その日の最初の声は、事務所の奥から聞こえてきた。
「ミキさーん!今日のルート、ぼくが決めていいですか!」
声の主はカズマ。二十代前半で、地図が大好きな利用者さんだ。地図帳を開くと、まるで宝物を見つけた子どものように目が輝く。
「いいよ。でも、昨日みたいに最短ルートを追い求めすぎて、
細い路地に迷い込まないようにね」
「今日は大丈夫です!完璧です!」
カズマは胸を張り、手作りの地図を広げた。コピー用紙に色鉛筆で描かれたその地図は、実際の町よりも少しだけ道が多く、そして少しだけ夢が混ざっている。
出発前、もう一人の利用者マサトが、折り紙を持って近づいてきた。
「ミキさん、見てください。ドラゴンできました」
マサトは寡黙だが、折り紙を折るときだけは別人のように集中する。今日のドラゴンは、翼が左右で微妙に違っていて、それがまた味になっていた。
「すごいね。今日のドラゴン、ちょっと強そう」
「強いです。今日は風が強いので、飛べます」
マサトは真顔で言った。私は笑いをこらえきれず、肩を震わせた。
「じゃあ、チラシ配りの守り神だね」
「はい。カズマさんの地図を守ります」
カズマは照れくさそうに笑った。
商店街に出ると、パン屋の前で焼きたての香りが漂ってきた。カズマは地図を見ながら、慎重に歩く。
「ここを右に行くと、昨日は行き止まりでした。
でも今日は左です。完璧です」
「うん、今日は順調だね」
カズマは得意げにうなずき、ポストへチラシを入れた。その横で、マサトが折り紙のドラゴンを風に乗せて遊ばせている。
「マサト、飛んでるね」
「はい。今日は風がいいです」
ドラゴンは、ひらひらと揺れながら、まるで町を見守るように舞っていた。
しばらく歩いたところで、カズマが立ち止まった。
「ミキさん、ここでチラシを配るとあと何軒残りますか?」
「えっと」
私はチラシの束を数えようとしたが、カズマはすでに答えを出していた。
「あと22軒です。この通りが12軒で、次の通りが10軒なので」
「すごいね。地図、全部覚えてるの?」
「覚えてるというかなんか、見えるんです。頭の中に、道がこう」
カズマは空中に指で線を描いた。その線は、彼の中ではきっと本当に道なのだろう。私はその姿を見ながら思った。この子の得意は、机の上じゃ育たなかっただろうな。地図を眺めて、道を歩いて、自分の足で確かめてきたからこそ育った力だ。
でも、それを言葉にする必要はない。ただ、カズマの横顔がすべてを語っていた。
そのとき、マサトの声が響いた。
「ミキさん!ドラゴンが!」
見ると、折り紙のドラゴンが風に乗って、八百屋の屋根の上にひらりと落ちてしまった。
「うわ、あそこか」
カズマが地図を見ながら言った。
「ミキさん、ここはドラゴン救出ルートがあります」
「そんなルート、地図にあったっけ?」
「あります。裏道です」
カズマは自信満々に裏道へ案内した。細い路地を抜けると、八百屋の裏手に出た。そこには、ちょうど脚立を片付けていた八百屋のおじさんがいた。
「おじさん、ドラゴンが屋根に」
「ああ、これか。さっき落ちてきたやつだな」
おじさんは笑いながらドラゴンを渡してくれた。マサトは胸に抱きしめ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。このドラゴンは、今日の風に必要なんです」
「そうかい。じゃあ大事にしな」
おじさんは笑って、また店に戻っていった。
事業所に戻る途中、カズマがぽつりと言った。
「ぼく、地図が好きでよかったです」
「うん。今日も助かったよ」
「ドラゴン救出ルート、完璧でした」
マサトが真顔でうなずく。
「ドラゴンも喜んでいます」
私は思わず吹き出した。
「二人とも、今日はいいチームだったね」
春の風が、三人の笑い声を運んでいった。
駄菓子屋
その日のトテチテタは、いつもより少しだけざわついていた。理由は簡単。新しいチラシのデザインが届いたのだ。
「ミキさん、このチラシ、なんか豪華ですね」
ユウタが目を輝かせる。
「ほんとだ。色が増えてる」
カズマも地図を片手に覗き込む。チラシには、事業所の名前トテチテタが大きく描かれ、その下に、利用者さんたちの笑顔のイラストが並んでいた。
「これ、マサトが描いたんだよ」
私は言った。マサトは照れくさそうに、折り紙の袋をぎゅっと握った。
「ちょっとだけです」
「ちょっとじゃないよ。すごくいいよ」
そんなやり取りをしているうちに、今日のチラシ配りのメンバーが決まった。ユウタ、カズマ、そしてマサト。いつもの三人だ。
商店街に出てすぐ、カズマが地図を広げた。
「今日は北ルートです。風が強いので、チラシが飛ばないように気をつけてください」
「了解です、隊長」
ユウタが敬礼する。その横で、マサトは折り紙のドラゴンをそっとポケットにしまった。
「今日は飛ばないほうがいいです。風が強すぎます」
そんな会話をしながら歩いていると、突然、ユウタが叫んだ。
「ミキさん!チラシがない!」
「え?」
ユウタの手にあったはずのチラシの束が、跡形もなく消えていた。
「さっきまであったのに!」
ユウタは慌ててポケットを探し、バッグをひっくり返し、靴の中まで確認した。
「靴の中には入らないでしょ」
私は笑いながら言った。
「でも、ほんとにないんです!」
そのとき、カズマが地図を見ながら言った。
「ミキさん、ここは風の谷です」
「風の谷?」
「はい。風が強くて、物がよく飛ぶ場所です。チラシも飛んだ可能性があります」
私は思わず空を見上げた。確かに、風が強い。春の風が、商店街の旗をばたばた揺らしている。
「じゃあ、探そうか」
三人はうなずき、チラシ捜索隊が結成された。
チラシを探しながら歩いていると、ふと、懐かしい匂いがした。駄菓子屋の匂いだ。私は足を止めた。店の前には、色あせたのれん。ガラスケースには、10円のラムネ菓子や、30円のチョコスナックが並んでいる。
「ミキさん、どうしたんですか?」
ユウタが首をかしげる。
「ううん。ちょっと懐かしくて」
私は店の前に立ちながら、子どもの頃の自分を思い出していた。100円玉を握りしめて、80円のお菓子を買うか、60円のにして20円のラムネを足すか、何度も何度も悩んだ。あの時間が、私は大好きだった。
「ミキさん、これ」
マサトが指さした。駄菓子屋の入り口に、トテチテタのチラシが一枚、ぺたりと貼られていた。
「これユウタのチラシじゃない?」
「ぼく、貼ってないです!」
駄菓子屋のおばあちゃんが出てきた。
「ああ、それね。風で飛んできたんよ。せっかくだから貼っといた」
ユウタは目を丸くした。
「ぼくのチラシ。風に乗って宣伝してくれたんだ!」
「そういうことになるね」
私は笑った。
事業所に戻る途中、ユウタが言った。
「ミキさん、ぼく駄菓子屋好きだったんですよ。100円でどれ買うか、めっちゃ悩んでました」
「うん、知ってるよ」
「今日、久しぶりに思い出しました。なんか、あの頃のぼくに会ったみたいで」
私は胸が温かくなった。
「私もだよ」
カズマが地図を見ながら言った。
「ミキさん、今日のルート思い出ルートでしたね」
「そうだね。いいルートだった」
マサトは折り紙のドラゴンを取り出し、そっと風に当てた。
「今日は飛ばないけど、また風が優しい日に飛びます」
春の風が、三人の笑い声をやさしく包んだ。
ホチキス
昼下がりのトテチテタは、いつもより少しだけのんびりしていた。午前中のチラシ配りを終え、利用者さんたちはそれぞれの作業に戻っている。私は事務所で、次のチラシ配りの準備をしていた。
机の上には、印刷したばかりのチラシの束。その横には、ホチキスと替え芯。
(さて、これを綴じて…)
そう思って手を伸ばした瞬間、私は固まった。
「ホチキスがない」
さっきまで机の上にあったはずのホチキスが、すっと消えていた。
「ミキさん、どうしました?」
ユウタが顔を出した。
「ホチキスがいなくなった」
「いなくなった?」
「うん。さっきまでここにいたのに」
ユウタは真剣な顔で机の下をのぞき込み、次に棚の上、コピー機の裏、果ては観葉植物の鉢の中まで探し始めた。
「いませんね」
「ホチキスが歩いて逃げたのかな」
私は冗談を言ったつもりだったが、ユウタは真顔でうなずいた。
「可能性はゼロじゃないです」
そこへ、カズマが地図を片手にやってきた。
「ミキさん、ホチキスが消えたんですか?」
「うん。どこにも見当たらなくて」
カズマは地図を広げた。
「ここはホチキス消失エリアです」
「そんなエリア、地図にあったっけ?」
「あります。ぼくの地図には」
カズマは真剣だ。私は笑いをこらえながら、彼の指す場所を見た。そこには、カズマが勝手に描き足した謎のゾーンがあった。事務所の隅に、なぜか魔の三角地帯と書かれている。
「ここに落ちた物は、よく消えます」
「それ、ただの棚の裏じゃない?」
「そうとも言います」
そこへ、折り紙の袋を抱えたマサトがやってきた。
「ミキさん、これ」
マサトが差し出したのは、折り紙で作られたホチキスだった。
「え、これホチキス?」
「はい。ホチキスがないと聞いたので、作りました」
私は思わず笑ってしまった。
「ありがとう。でも、これじゃ綴じられないよね」
「綴じられません。でも、気持ちは綴じられます」
マサトは真顔だ。私は笑いながら、折り紙ホチキスを受け取った。そのとき。
「ミキさん、ありました!」
ユウタが叫んだ。
「どこに?」
「ここです!」
ユウタが指さしたのは、コピー機の上に置かれた、チラシの山の下だった。
「ミキさんがさっき置いたんですよ」
「あ、そうだったかも」
私は頭をかいた。
「ホチキス、逃げてませんでしたね」
「はい。ミキさんが隠してただけです」
「隠してたわけじゃないよ」
ユウタとカズマは顔を見合わせ、なぜか同時にうなずいた。
「ミキさん、今日はホチキス事件ですね」
「地図に記録しておきます」
マサトは折り紙ホチキスを見つめながら言った。
「本物が見つかったので、これは飾っておきます」
私は笑いながら言った。
「うん。今日の記念に飾ろう」
午後の作業が始まると、事務所には静かな時間が流れた。ユウタはチラシを数え、カズマは地図を描き足し、マサトは折り紙のドラゴンを増やしている。私は机の上に置かれた折り紙ホチキスを見つめた。
(こういう日が、私は好きだ)
何か大きなことが起きるわけじゃない。でも、小さな事件があって、みんなで笑って、気づけば一日が終わっている。そんな日々が、トテチテタにはよく似合っていた。
風の強い日
その日は朝から風が強かった。トテチテタの玄関を開けると、春の風が勢いよく吹き込み、掲示板のチラシが一枚、ひらりと床に落ちた。
「今日は飛びますね」
マサトが折り紙の袋を抱えながらつぶやいた。
「飛ぶのはドラゴンだけにしてほしいけどね」
私は笑った。ユウタは、風に揺れる髪を押さえながら言った。
「ミキさん、今日のチラシ配り、ぼくがリーダーやります!」
「お、頼もしいね」
「風に負けない方法、考えてきました!」
ユウタは胸を張った。その横で、カズマが地図を広げる。
「今日は風避けルートを使います。建物が多いので、風が弱いです」
「さすがカズマ。じゃあ、三人で行こうか」
商店街の裏道は、建物が密集していて、確かに風が弱かった。カズマは地図を見ながら、慎重に歩く。
「ここを右に行くと、風が強くなります。今日は左です」
「了解です、隊長!」
ユウタが敬礼する。マサトは折り紙のドラゴンをポケットにしまい、風の様子をじっと観察していた。
「今日は飛ばせません。風が荒れています」
そんな会話をしながら歩いていると、突然、ユウタが立ち止まった。
「ミキさん大変です」
「どうしたの?」
「ポストがなくなってます!」
見ると、いつもチラシを入れている古いアパートのポストが、工事のために取り外されていた。
「ほんとだ。工事中だね」
ユウタはチラシを握りしめ、真剣な顔になった。
「どうしましょう配れません」
「今日はここはスキップでいいよ」
「いや、でも」
ユウタはアパートの入り口を見つめ、何かを考えているようだった。
そのとき、アパートの奥から工事のお兄さんが出てきた。
「すみませーん、ここ工事中なんで」
ユウタがすかさず前に出た。
「あの!ぼくたち、チラシ配りに来たんです!
でもポストがなくてどうしたらいいですか!」
お兄さんは驚いたように目を丸くした。
「え、ああ、チラシ?ああ、これか」
お兄さんは、足元の段ボール箱を指さした。
「住民の人に渡す郵便物、全部ここに入れてるんだ。もしよかったら、その箱に入れてくれたら、あとで渡しとくよ」
「いいんですか!」
「もちろん」
ユウタはぱっと笑顔になり、チラシを丁寧に箱へ入れた。
「ありがとうございます!
ぼく、今日のリーダーなんです!」
「おお、頼もしいなあ」
お兄さんは笑いながら、ユウタの頭を軽くなでた。その横で、カズマが地図にメモを書き込んでいた。
「ここは工事中ルートとして記録します」
マサトは折り紙のドラゴンを取り出し、お兄さんにそっと差し出した。
「これ、お礼です」
「え、いいの?ありがとう!」
お兄さんは嬉しそうにドラゴンを受け取った。
事業所へ戻る途中、ユウタが言った。
「ミキさん、ぼくちゃんとリーダーできましたか?」
「うん。すごくよかったよ。あのお兄さんとのやり取り、完璧だった」
「ほんとですか!」
「うん。あれは交渉っていうんだよ」
「交渉!」
ユウタは胸を張った。
「ぼく、交渉できるんだ!」
「できるよ。今日、見せてもらったからね」
カズマが地図を見ながら言った。
「ユウタさん、今日の交渉地図に記録しておきます」
「地図に!?」
「はい。ユウタ交渉ポイントとして」
マサトは折り紙の袋を抱えながら言った。
「ドラゴンも喜んでいます」
私は笑いながら三人を見た。この子たち、ほんとにいいチームだな。春の風が、少しだけ優しくなった気がした。
チラシ配りの午後
その日は、朝から空が澄んでいた。雲ひとつない青空が広がり、風はやわらかく、まるで「今日は特別な日ですよ」と言っているようだった。トテチテタの玄関を開けると、ユウタ、カズマ、マサトの三人が、すでに揃っていた。
「ミキさん、今日は」
ユウタが少し照れたように言った。
「ぼくたち、三人で行きたいです。ミキさんは、後ろから見ててください」
「え、私いらないの?」
「いらなくはないです!でも」
ユウタは胸を張った。
「ぼくたち、もう大丈夫です」
私は胸の奥がじんわり温かくなった。
「そっか。じゃあ、今日は見守り隊で行くね」
三人はうれしそうにうなずいた。
商店街に出ると、ユウタがチラシを抱え、カズマが地図を広げ、マサトが折り紙のドラゴンをそっと風に当てた。
「今日は飛べます」
マサトが言った。
「風、ちょうどいいです」
ドラゴンはひらりと舞い、春の空に小さな影を落とした。
「じゃあ、行きます!」
ユウタが声を上げた。三人は、まるで冒険に出る子どもたちのように、軽い足取りで歩き始めた。
八百屋のおばちゃんが手を振る。
「今日も頑張っとるねえ!」
「はい!今日は最終ミッションです!」
ユウタが胸を張る。パン屋のおじさんが笑う。
「お、ドラゴン飛んどるなあ」
「今日は風がいいので」
マサトが真顔で答える。カズマは地図を見ながら、いつもの裏道へ三人を導いた。
「ここは風避けルートです。今日も完璧です」
町の人たちは、三人を見ると自然に笑顔になった。まるで、三人がこの町のちいさな名物になっているようだった。
私は少し離れたところから、三人の背中を見つめていた。ユウタは、チラシを丁寧に配りながら、時々、住民の人に話しかけている。カズマは、地図を見なくても道を覚えていて、迷うことなく三人を導いている。マサトは、折り紙のドラゴンを風に乗せながら、時々、落ちそうになるチラシをそっと押さえている。
(ああ、この子たち、ほんとに成長したな)
胸の奥が、じんわりと熱くなった。
最後の一軒に着いたとき、三人は顔を見合わせた。
「ここが最後です」
カズマが言う。
「じゃあ、ぼくが入れます!」
ユウタがチラシを取り出す。マサトはドラゴンをそっと空に放った。ドラゴンは、春の風に乗って、ゆっくりと舞い上がった。ユウタは深呼吸して、最後のチラシをポストに入れた。
「完了!」
三人は同時にガッツポーズをした。私は思わず拍手した。
「三人とも、すごいよ。今日のチラシ配り、完璧だった」
ユウタは照れくさそうに笑い、カズマは地図に完了の印をつけ、マサトはドラゴンを抱きしめた。
事業所に戻ると、三人はそれぞれの席に座り、静かに作業を始めた。私は事務所の窓から外を眺めた。春の風が、さっき飛んだ折り紙のドラゴンを、どこか遠くへ運んでいくように見えた。
(この子たちの未来も、きっとこんなふうに、どこかへ続いていくんだろうな)
そう思うと、胸の奥があたたかく満たされた。
夕方、三人が帰るとき、ユウタが振り返って言った。
「ミキさん、また明日も一緒に歩きましょうね!」
「うん。もちろん」
カズマは地図を抱えながら言った。
「明日は新ルートを考えてきます」
マサトは折り紙のドラゴンを差し出した。
「今日のドラゴンです。ミキさんに、あげます」
私は受け取りながら言った。
「ありがとう。大事にするね」
三人が帰っていく背中を見送りながら、私はそっとつぶやいた。
「いい一日だったな」
トテチテタの看板が、夕陽に照らされて、やさしく光っていた。

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